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地上の人間は「強すぎる」と見做して「我々人間とは違う種族だ」と判断します
それは、考え方そのものが人間の世界とは違えていて、この世の理を知る者のソレだったりするのです。
「生」があり「死」がある。「死」がなければ「生」もない それは光と陰の関係でもあり
破壊がなければ創造も無いのです。死は忌避すべきものではなく受け入れるべきものなのです。
例えば草木などの植物も牛や鳥や魚、人間と同じように生きているし
我々人間はそういうものを食べて血肉に変換して今を生きようとしているのだし現状をより良いものに
するための犠牲の死なのに、とにかく「殺す」「死ぬ」ことをやたらを悪いものとして捉えるのは
気持ちも感じ方も道徳の上では必要だろうけど直接お腹が満たされるわけではないんだよなあ
その辺と同じ理屈で「殺す」ことをひどく残酷扱いする人間もちょっと嫌、距離おきたくなる。
少し前に話題になった「イルカは高い知能を持つ動物だから食用にするのは反対だ」みたいなさ。
我々が生きるために殺すのではなく、いじめ殺すだとか遊びで殺すとか そういうのがアレ。
スーパーで売ってるお肉を、かわいそうだからと買わないでいるのは 何の意味もありません
牛や鳥や魚などは殺され続けるし、ペットショップの在り様もひとつのサイクルとして出来上がっています。
そして、あまり注目されなかったり、視野に入れてもらえなかったりするけどその辺の雑草や野菜サラダ
だって「生きてる(生きてた)」んですよね 植物にも精神(意識、いのち)は宿るのです。
植物も摘んだり食べたりすれば「死ぬ」のです。人間も生と死のサイクルの中に存在するのです。
人間だって他の動植物だってみんな「同じ」なのだから、そこに優劣などの上下は存在しないのです
なので、「かわいそうだから」「見てるのがつらいから」「非道徳的だから」といった意識から成るそれは
これらサイクルの流動を滞らせる考え方であり、自然の摂理に反する言動でもあるのです。
我々の栄養となり、我々のいのちをつなげるための死なのだから、彼らをきちんと食べることが
最もの弔いなのではないでしょうか。だから「いただきます」と「ごちそうさま」があるんでしょう?
そうそう KONAMIの音ゲー「MUSECA」のGraficaの公募で採用されました。
神のグラフィカでイラストレーター名は佯狂です。 もうゲーセンで動いてます。
ゲームそのものや会社の評判が云々ではなくて、採用されたことが重要だと思うのです。
Twitterでミュゼカ関連のツイートを見てても、ぼくが描いたキャラクターのデザインが好きといってる人が
いたりそのグラフィカが欲しいから奮闘してる人がいたりして、こういうの初体験なのでアア~^ってなってます
5年以上前にもイラスト系の公募で2つ佳作だったか準傑作だったかに入ったこともありました。
公募は、最初から採用を狙いに行くんじゃなくて 受かっても受からなくてもいいからとにかくベストを尽くすこと
だと思うのです。じゃないとモヤモヤが残ってしまうし。絵を一枚の完成形として制作する訓練にもなると思うのです。
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