忍者ブログ
 
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

無題
 私は出来ない・分からないことが多いってことがバレるのとか、失敗することを過度に恐れるとかするから、そういう意味でも対人恐怖症があるのよな  最近は伸び伸びするように意識してるけど…。

視覚化がイメージだけではなせないと思ってる人がいるらしいとかなんとかのツイート。この辺も割と深刻だったりするのがタルパ界隈な
自分の中から生まれるものなのだからソレに気づけないことで強い惑わしに溺れ陥る人が続出する世界…

心のあり方によって鏡に反射して映し出された世界が決まるの。だからアストラルは正しく構築すべきなんだと思うし。心は世界を映す鏡。だからこそ、多面的な視野と豊かな教養は必要だと思うしね…

「死」という言葉を受けた時、肉体的な死でしか解釈できない人間とはそもそも会話できない、世界が違いすぎるから  「死」というものに関する考察は山ほどあって、その中でも  一般的認識による死に対する排他的扱いとその原因  みたいなやつ。たとえば  きみたちは普段ご飯を食べる時、そのご飯になるため犠牲となった動物さんたちのことはどう考えてますか?とかさ。摂理という意味でも死は否定されるものではないし、
だから私は他の人よりも比較的、死というものに対して寛容…である、んだと思う。忌避しない
たとえば、夜眠ることと朝目覚めること、これは比喩的な生と死のサイクルであるのだけど、ダメな人はこの説明してもダメだからね…おもろい
死は常に隣に居て、いつどこで何が起きて突然ポックリ行くかもわからんので
できるだけ悔いが生まれない日々の過ごし方を心掛けること、と。
死という生々しいものがあるから、人は刹那や、精神こころを大事にして紡ぎ繋げていこうとするのでしょう。

世界は破壊と創造によって廻っている
命というものに付随する尊厳というものは精神性がその付加価値を与えている
嫌いな奴ははよ死んでくれと思っている傍で好きな人には死んでほしくない、だとか
食用のはずのウーパールーパーが実際食われるのはかわいそう、とか
人間は非常に勝手な生き物である
そしておそらく、そう言う反応を示すのが「一般的」であり、何か根本的な部分から私は感覚が違うのかもしれん、と   ぼんやりする。

たとえば、オカルト(というか精神的な世界)と、概念的な死は、なんだか同義みたいな扱われ方をしている、となんとなく感じる時もある。どちらも必要なものではあるので絶対悪ではない、というのは共通だけど。人々はこれを必要悪にしたがるきらいがある。
人は、何か悪いものを見つけるとそこにばかりスポットライトを当てようとしてソレの良さや実際の需要影響などを見ようとしなくなる、絶対悪として集団で批判、そして叩きに入る
どちらも  肉体世界と反しているジャンル  であるので、仕方ないのかなとも思うが。
怪しいんだから怪しい、ンな胡散臭い世界に手を出してるなんてこと自体が危険要素





PR
[■■■つづきはこちら]
無題
  本来的にはオカルトに頼らずとも得られるものもあるはずだし、オカルトから攻めていくのは陰の方法なんだよ。 単に知識や学術としてオカルトを攻めているのなら異論は無いけどねえ
そもそも荒んだ心を休ませるためにオカスピが存在するわけで、そこに逃避や依存を見出してしまう人らが問題視されてればいいだけだと思うんだけどね。オカスピが悪いんじゃ無い、それを使う問題ある人間が悪い
包丁が悪いんじゃ無い、それを使って人を殺す奴が悪い タロットが問題なんじゃ無い、タロットに引っ張られたりタロットのせいにする人が悪い

あと長い歴史の中で積み重ねられた偏見は強いと思うね、世のオカスピに対する思想がね…。 だから、魔術じゃないにしろ神様天使様が私を元気付けてくれたの!なんて言おうものならその日から村八分
依存というか信仰対象というか、ねえ… 私は魔術が私を救ってるから私の宝物だし。なのでオカスピのことロクに知りもしない奴があーだこーだ言うのは許せんし。
オカルトスピリチャルとかいう目に見えない不確かな精神性の強い怪しい世界は科学にねじ伏せられて隠れながら暮らすべきという暗黙の了解

お前はお前、私は私 という線引きの概念について私の中身はひどく脆弱であるのだろう
自他の境界が曖昧であることの弱点でもあると考えられる 概念定義のすり合わせを行わなければ、同じ日本語なのに宇宙人と対話する羽目になることを忘れてはいけない、それは驕りだ。
相談相手を確保できないから自分で抱え込み、自分を罰し、背負い、衰弱して行く ここで求められるのは受容と許容とアドバイスと協力者。

良いものも悪いものも両方を見て許して仲良くしようとする人は居ない  悪いものは排除するか関わらないかするのが一般的  物事の裏側まで見ようとする人の少なさ、1人の発言だけで全てを知った気になる人の多さ。常に疑え。常に多面的視野を持て。言語(概念や定義)のすり合わせをしろ。「奥行き」を知れ、語呂合わせの年号ではなく「息衝いてきた知恵」を見ろ。

私が自分の姿を探ろうとこの道に来たのはだいたいカーチャンの言葉の呪いのせいやで
私は日本語がわからないので、定義も概念も使い方も。
だからとにかくなんでもよかったから「自分は何で誰なのか」と言うことを他者に伝えるすべが得たかった。
結果として、オカルト魔術っていうか、正しくは精神心理学のほうのがこの件に貢献する。あとはタルパね、これは私が自分の創作好きすぎた故だから。まあだからオカルト魔術は私にとって私を構成する人生に関わるものだから基本的にくそまじめになりますわな?。

自分に都合いい情報の引用の仕方しかしないできない人間はキモい  甘いも苦いも陰陽すべて余さず羅列しろよ  「文脈と背景を持ったソースを自分の都合で継ぎ接ぎして捻じ曲げるのは倫理的に最悪の部類ですよね」って言われたけどまさにそうだよ。


[■■■つづきはこちら]
無題
  考え過ぎはほんとどこの世界にいても誰からでも言われるんだけど、意味がわからんもん なんで?なんで私のこれが考えすぎになるのよ。
んで、周りが言うには、私は考え過ぎて深く掘り進め過ぎてなんか余計違うものを引き出してくる、みたいな感じらしいのな  ていうか考え過ぎで動けなくなるのは隠者最大の特徴と言えるやつだし
私の側では、その答えを導き出すにもいわゆる障害が多過ぎて、それを悩んでると周りにデモデモダッテばかりとか言われるんかもやな。

私1人だけだと、動きたくても動けないワカラナイワカラナイうんうん悶々てことが多過ぎて。 他人に相談できないのは、私のコンプレックスまみれ(又の名を過去に受けた呪い)が邪魔をしてるから。
なので、私が考え過ぎでふん詰まってたら、横からつついて流れを促してやれる存在がいたら良いのかもねっていう話はあった。あなたは口ばかりの嘘つき、何もやらないじゃない って面と向かって言われてるのは今も記憶に新しい  やらないんじゃない、できないの。ていうね

できない、どうしたらいいかわからない、やりたいしやらなきゃと思うんだけど、何をどうしたらいいかが全然見えない  でも他人に相談できない、ていう
どこまで準備して、どこまでなら準備しなくていいって区分ができないとか。
分かんねえからしんどいんだよ(素) まあ多分それゆえのどんくささなのだろうし、そういうことなのかもしれぬ。 ああ、だからか。だから根詰めすぎるんやろかね。

出来ないくせに出来るフリしようとするから変なところまで行っちゃうみたいなの。だってさー、出来ないこと多くて心身弱い人間なんて、嫌いだろ?めんどくさいだろ、関わりたくないし負担でしかないだろ〜??。できない、わからない、最初の最初から教えてくれよ…、 そう感じることばかり。
今はもう解決を目指せているのでいいんですけどね…何にせよ…長年のアレソレで付いてしまった癖はなかなか取れないよの話
今は出来ない分からなーい!ってできるだけのびのび発言するようにしてる
分からなくて怖い、怖いから考え過ぎる かもしれないね。楽観視できないという感じかな
間違えると睨まれる、出来ない分からないっていうと怒られる捨てられる そういう恐怖心。だから感覚的になれず、情報依存になったのかもね。
考え過ぎて動けなくなるわけだけど、そんなんしてるくらいなら考えずに突っ込んだほうがいい、とかいう人は多そうだな
怖いから考え過るのと、答えを得たいから考え過ぎるのと かな 白黒はっきりしてなきゃみたいなやつ









[■■■つづきはこちら]
無題
 自分の正当性を認めるということの究極系は、自分で自分を肯定する、ということに集約され、 今回の私の場合は過去に行われ重ねられてきたその"正しさ"を、自ら崩壊させたということになります。 私は今まで正しいと思ってやってきたことだけど、どうやら周りにとって害悪だったようなので、今までの私だとまた悪いこと言ったりやったりするから作り直すねって考えに至ったやつです。 正当性が認められなかったりして悲しくなるけど、だったらまた今までみたいに喚いたり攻撃したりしていいわけでもないでしょう
悲しいですよ、つらいときも苦しいときもありますよ。そうして喚いて暴れてたら人から説教受けるし人がいなくなるし私は咎められる 意味はわかります、当然ですね、目障りになるし。だから、私は自分を直そうと思ったから、 まずは、自分の中のそう言った反抗反発の要素を捨てるのです。
わからなくて暴れるのに、ソレがよくないようなので、私の悲しい苦しいは一度捨てておく、じゃないと暴れるので。
でもそう書くと、何だか自分の感情を否定してるようにも見えるのよな。 かなしいなつらいな怒れるな、でも仕方ないことなんだな 相手はそう感じたんだから ていう、考えにシフト…。

自殺をするのは弱いやつ、自殺は逃げ って論を掲げてる奴が相手を追い込む  自分にとって正しいことが相手にとって脅威であるって可能性の話。
死ぬしか方法がわからなかったんだけど、それで何やかんや言われるんだったら、そいつはどうすればよかったんだ   ていうね

ワイ将そんなに純粋無垢かのう…そしたら、じゃあ、他の人たちどんだけなんていう…だったら、なぜわしはこの年この状況になるまで、その辺が養われなかったんやってなるし
すべてが不幸だったとは思わない けどちょっと、悲劇じゃない?
何を始めるにしたって、何を気づくにしたって、遅い早いとかない、その時から改めればいいのだから とは言うけれど。 10年返せの意識に苛まれる。このシナリオ、在り方に納得はできないですよ

…そうだな、今となってはもう善悪とか知らんけど、 当時その瞬間では自分と相手の間に善悪や敵味方などの概念は有っただろうと思う。それがたとえ事実であれ、バカでフワフワしたようなやつの発言の信ぴょう性の無さ、と言うことなのだろう判断基準としては。
「現場を実際目にしているわけではないので」というソレがクソほど私の障害になってきた。だから私はデータ収集狂いになったわけだがな。
自分で自分のことがわからない、言葉も概念もわからない。それでいて周りから「お前の意味がわからない、お前の存在がよく分からない、お前は何なんだ」と言われ続けたので情報露出狂になり、何でもかんでも全部垂れ流すようになった。 そのわりに周りの人間らは私の情報を読まない。
私の中身が年齢不相応の幼児に等しいことだって、当然のように考慮配慮されない。ンなこと知るかよと言わんばかりに"出来るのが普通"というモノを大前提として私に話をしてくる。
私は私の思いつく限りの対処をしたが、私が考えていたようには、周りからの興味は持たれなかった。
みんなそこまで暇ではない。私のような"出来なくて、弱い"人間に割く労力も時間も持ち合わせない、それならそれで、まあ良いけれど。 そうしていって、放置され続けて、今があるからね…。


[■■■つづきはこちら]
無題
私は私なりにヘルプを出し続けていましたが、それは飽く迄私の主観による私の真実でしかなく、私は事実のみを言っていたつもりでしたがなるほどそれは私の視野による私の好都合の話でしかないと受け取られるのかと。私はこの辺の時期、孤独を味わいました。私にとってのまぎれもない事実(事件性)と感情(正義)であるのにと。 いずれにしても不可視がらみで地に足ついてない内容での問題に変わりはありませんし。それで喚いていた私がアレな存在であるとされるのならば、私はもう求めることをやめました。この辺については先日行った自己世界の破壊自殺に巻き込まれているので壊れたものは戻せません。データだけ残っています。

結局私の気持ちや意見や考えなどは受け入れられざるものとして殺されざるを得なかったのだしそれはそれでいいとして、私は頭も欠陥だし心身も人より弱くて少し頑張るとすぐ不調が出て、生きるのがつらくなる、頭も心身も治療や診断などすべて放置されて来て今があるっていう、ある種どうしようもない中で育ってしまった問題児ってことなんだけど、そういう部分もどうせ配慮したことねえだろ?。
動けなくなっちゃうくらい脆くて弱いから、歩みや語調などを緩めてくれっていう、私なりの「助けて死んじゃう」を、批難して来たのは周りやん それももう過去のことなので求めたりしないので、今の私に関係ありませんけど。そういう、そのような理由などで決して納得が行くわけないフツフツグツグツとした癌、腫瘍、抱え続けるわけにもいかないので、捨てた。
病院行かせてくれる人もいなかったし、この世の物事を教えてくれる人もいなかった 私は1人で病院行って帰ってこれるような高機能じゃ無いよ、特に当時とかは。 だから、この数年のことなんだよ、変化は。だから無知は罪、できないも罪

私は苦しかったし悲しかったし痛みもあったし、人から受けるものも苦痛で、自分自身の不自由さも苦痛で、
でも病院も許されなかったし原因も分からなかったし、言葉も分からないしで
暴れて喚くしかできなかったんだけど、そのあたりの、私の何かが間違ってて悪で排されるべきものなんだろ、多分。分からない、他人の基準による話なので。
慰めて欲しいというよりは、分からないワカラナイだらけで怒られ責められ批難されってだけなので、自分を殺してみるしかなかった。私は他に方法を知らない。

いつもいつも「そんなこと言ってるんじゃないのに」って思ってる。誤解されてるなって時。 そんなつもりじゃないのにって。でももう、それについてどうこうの話し合い議論をして行くのも疲れたので、もういい
こちらにそのつもりがなくても相手が受け取ったそのかたちが真実で事実になる だから弁解の余地も無いしこちらの悲しい苦しいの感情は相手にとってさほど問題では無いし誤解を与えるような物言いしかできないこちらが全面的悪なのですよ
私はこの喋り方しかできないし、私が翻弄される側でヒィヒィ言ってる中でも私は誤解され続けるしで、とにかく誤解されやすいということだけはなぜかどの界隈でも言われるし。大変だしこの癖?無くしたいと思うけど簡単に治ったり、原因分かったりするなら苦労してないってこと。
[■■■つづきはこちら]
<< 
< 2024/05 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  >

忍者ブログ  [PR]