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「他人と交流しなきゃキャラを動かせないキャラが生きないキャラを掘り下げられない」と言う人種が存在するわけだが
自分はそういう人に無差別でイライラするし嫌いなんですよ。
早い話が、オリキャラを交流ツールとしか見てない創作者(笑)がクソ腹立つんですよ。
だってそれは他人がいるからキャラが構築されるわけでしょ?作者が生んだのに、キャラ構築に他人が必要なんて。
自力でキャラクターを育ててあげられないなんて。相手の好きそうなキャラクターを作る場合とか、何が楽しい?
人と関わりたいから、誰かのために、自分の知名度を上げたいから…、他人ありきの交流依存症で、
それをしなきゃ創作できない人間なんかにはもう近づきたくすらないです。
人の勝手だろ好きにさせとけっつーのはご尤もなので、関連した話題を出したり視界に入ったりしないでいただきたい
ハッシュタグとか元々がそういう目的のキャラクターの場合は別ですよ。
長らく絵を描き続けて、色々あったが そりゃあ筆を折りたくなることは何度もある
しかし僕がうまねば彼らは誰が生かしてくれるのか?
彼らの存在を在らせ続けるためには僕がカタチにし続けなければならないのだよ。
溢れ出る脳内イメージは直ちに反映させなければ、彼らは若さを保っていられなくなるからな。
鮮度とは、表現において欠かしてはならないものなのだ。
かれこれもう七年ほどになるか。 今もなお、自分は「幸福で苦しみ不幸を糧にする」黒くて毛むくじゃらの生き物。
プラスは毒に、マイナスは甘い水に、陽の光に肌は爛れて夜の闇に安寧を見出す。
幸せに共感できず不幸に近づき、身内であっても人の幸せを願えない、そんな人間です。
自分にとって幸せとは、身体を寄せ合える存在と窮屈な空間の中で安らかな眠りにつくことです
延命処置は要らない 枯れる前に自ら首をおとしてしまいたい。
三次元における「愛してる」という言葉を聞くのも言うのも苦手です。 なんか、なんだろ、薄い。
でも長い時間をかけて自分が作り上げてきた箱庭とその住人たちにはたくさん「愛してる」という言葉を言えます。
徹底して、独りなのだなと時々思います。
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