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思考、思案、追求 この辺をする人が好き
自分は絵を描くために人生を犠牲にしてるからなあ そこまで上手いわけでもないのにね
ちなみにぼくは物心着いた時から絵を描いてるよ その頃から人外描きで男の子が描く絵みたいなヤツを描いてたよ、ドラゴンも描いてたよ
ただの落書きから生き甲斐になったのは中学から。つまり中学から本気で絵を描くようになった、中学から考えて描くようになった、中学から私の表現の一つとなった。
やがてそれは「謎の現象」をカタチにする手段となった。私はそれを受信と呼んでいる
そう。私にとって絵とは自己表現であり発散手段であり安寧であり心である
絵の中の存在達は確実に「生きている」 生きていれば死ぬし、殺すし、悩み喜び絶望もする
生と死は絵の中にも存在する有無 フィールドは確かに紙であるが「存在」は、三次元
私は二次元に三次元を求める なので中々理解できないこともこの世には多々ある 「同性愛は二次元限定」とかね
僕はそもそも三次元萌えだし三次元のエログロバッチ来い人間なのでなぁ…
まあ「二次元限定」というのを主張する人の大半が抱いてる理由は「三次元は気持ち悪い」だろうなのは知ってるよ。
生があっての死の美しさ 死があっての生の美しさ
出来る人は出来ない人の気持ちがわからない 出来ない人は出来る人の気持ちがわからない 他人が私のことを理解はできないし私も他人のことを理解できない
その埋め合わせを可能にする人を私は好きになる
格差とか選民とかいらない 横並びがいい。だから、作品の上手い下手とかで私は人を選ばない。みんなおんなじ。
分かりやすく言えば、絵が上手い人にはたくさんの人が付きますが、自分はそういうのに反抗的です。
んで、絵を描いてくれるからこの人についてる〜という意見もたまにある。
鉛筆配って仲良くなっても配る鉛筆なくなったら友達消える
それは、オカルトで言えば「お前の持ってる能力や知識に興味はあるけどお前そのものには興味がない」と言ってるようなもので。
私はそう思ってないし、そんなこと言い出す奴はクソ。
理解できるできないを、単なる好き嫌いで片付けるのはちと短絡的かと思うよ。
構造の把握が理解であるなら、受入れるか否かがその後に来る。好みの問題は理屈の次だよ。
ピーマンに栄養があるのは知ってるんだけど、キライなものはキライ。そんな感じ。
あとやっぱこう、社会は所詮人間の表面のみを扱えればそれで回る世界なので
化けの皮の内側がどんなにクソゴミでも道具として使えればそれで結構なんだよナ
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