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太極拳とは何たるか、その原点を探っていくなら陳式を知れ と…やっぱそうなるよねえ…。
そして、太極拳というのは「気持ちの良さ」を"感覚で"追究していくものだから個人個人で独自のクセが出て来やすい。「太極拳の美しさはかたちではない。風格(オーラ/中身の精神)だ」だそーだ。
下の記事でも触れてる「こころの在り方(精神性)」の話でもある。
私は太極拳の重心移動(片足立ち)にすら耐えられない程度の筋力なので申し訳程度の筋トレにも着手しているわけだけど"筋トレするための筋肉がない"って言って分かります?知識を得るための知識がないみたいなやつです。人の話を聞くにしてもそれを理解できるだけの頭がなきゃ意味がないって。
何にせよ考え方を学ぶ(知識を取り入れる)と背景(ビジョン的景色)が見えてくるのは楽しいね… 歴史を知る、というのは単に暗記してテストに答えるのではなく、人々がどのようにして生きるため知恵を働かせて来たかっていうあの捉え方が好き…エジプトのナイル川氾濫を予測して農耕などの文化を守るため占いや天文歴が発達した、みたいなああいう話とかの…。
占いっていうのはそういう、キラキラ魔法シャランラじゃなくて、めちゃくちゃ科学的なものだっていうのを主張していきたい…。占いというのは現状どうなってるかをこと細かく調べ上げてデータ化してその後の展開の予測を立てるものだから変な期待を寄せられるのも嫌なんだよ、だから占いは超推理なのよ 知識と直感と知恵。
陰徳あれば陽報あり 陰徳を積むことで予知された運命を覆すこともできるとか言う考え方もあるくらいで。
書は言を尽くさず、言は意を尽くさず然らば聖人の意は、其れ見るべからざるか 聖人、象をたてて以て意を尽くす。易経が伝えたいとしてとったすべってのは、文字と言葉と「卦」という"非言語"だった、ということなのかね。64の記号(象徴)にはこの世界の神羅万象がギュッと詰め込まれてるというし。だから帝王学の書『易経』は精神と科学と知恵のすべてが込められていると。
いうて易経も何年前の古書だよって言う 我々が使用するならそのままだと合うわけないんだから現代ナイズは必要だよ。
目に見えないものだけではいけないし目に見えるものだけでもいけない。智慧を以て「現在(不具合)から過去(原因)に干渉し未来(正しさ)をつくる」
魔術だけでは見えない 科学だけでは計れない それがこの世界だと思うよほんと
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