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人間は痛みを覚えないと省みないもの。そうやって火の扱い方を知る。 痛手を負うまで自分自身を盲信し続け疑う事思案する事もしない。人間は痛い思いをしないと自分を顧みることをしない。 そうなるまでは、自分のことを疑う暇もない。「眼が濁る、曇る」とか言われるやつです。
ご神体は鏡、かがみ、「我」と「神」自分という我の中に神は存在する、という神道的考え方の話を読んだのですが。自らの姿を反転した状態でそのまま見せつけてくる鏡というアイテム、かあ… 自分の物事を受け取る捉える認識するこころ、精神の状態が健全でないと、鏡に映った自分も歪んで見えるかもね。
「事実(紛うことなき目の前の現場)」を、こころのフィルターというものを通してから認知認識したものが「真実」である。だからそこには様々な感情や思惑、思考が織り交ぜられている。なので「人の数だけ真実が存在する」ということになり、たとえ同じひとつのものを指していてもアウトプットは人によって色々になる。
だから、こころ(アストラルの世界)が歪んでいると、世界が歪んで見える、と言うことなのだけど これが所謂仏教の「空」なのかな?その辺は詳しくない。
陰陽の肯定と否定の交互のバランスがとれてこそ人は安全に日々を過ごすことができる… それはつまり、肯定ばかりじゃ心身は腐るし、否定ばかりじゃすり減っていって死んでしまう。 だからきちんと寝てきちんと起きて、体内の液体(エネルギーも血液もその他体液も)をぐるぐる回そう…。
大地(陰)は物理、天(陽)は不可視、それは肉体と精神、人間だけがその真ん中で「神」を知覚することが許される。 これがどういうことかなんて、オカルトやらなくたって理解は可能だ。
全ての中にそう言った「大掛かりな機械仕掛け」を見出せる知性を有するのが人間しかおらんからね。
神は特別なものなんじゃなくて、敢えて言うとするなら、自然の中に神を見出せる人間の知性が特別なんだと思う。 だから神ってのは厳かではあるけど、ここにもそこにも遍在していて呼吸するための酸素みたいに常に隣人であり続けるのだと思う。
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