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私が感じる報われなさというか救われなさというか、過去の なに、なんか どうにもならない遣る瀬無さ
放置されてきたなら原因もわからないはずで、原因がわからないまま喚いてればこのような歪みある姿にもなるわけで。 そうしたら、自覚ないままなんか言われたり人が離れたりするわけで
そいえば病気は個性であって本当は病気なんてものは無えのだよという考え方について、 まあそうだよなともなる。意味はわかる こう、厄とか、鬼とか、悪魔とかそういう観点からの話で。
名付けが支配に繋がるのならそれはラベリング作業と近くあるし、ラベリング作業とカテゴライズが上手い人こそが魔術回路整えられてるということかと思う
人間、我々の出生時に授けられる「名前」にしてもその文字列が意味する概念や響きや、寄せる神様や運気など様々なものが関係してくるんだ。 その時決められた「名前」によって、その後の成長や人生に大小いろいろ関わってくるわけで(言霊)。だから責任重大な儀式なんだよ。
…まあ、ほどよくオカスピな分野になる話なもんで、特に現代人の中でそういうのをよく気にする人は少ないかと思いますけど。後々考えてみるとなかなか怖い結果になってたりするから、早期発見と早期治療です。放って置かれるのが一番地獄を見ます。
言の葉に意は乗るしそれにより与えられた側は肉も不可視も縛られる
祈願といえば聞こえはいいが、音の波を受けた者はそれが記憶されて呪いにも成り得、その後の一生が蝕まれ続ける可能性だってある
ただしそうして「名を与える」という行為によってその存在が確立されるのも確かな話で。フワフワしてて掴み所ない物体に輪郭(器)をあげる、ということ。
それが言い換えるならラベリング作業とカテゴライズの概念に近い。物事を支配するというのはそういうものかと思う。
名を与えるという行為。名を与えて器を与えてラベリング作業とカテゴライズ。 それが「病名」。
だから病気ひいては病名というのは"正体を暴いて手段を確立させるためにある"ものだと考えます。
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