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とにかく声を大にして叫びたいことならあります
オカルトと聞いてやたらドロドロ陰鬱なイメージをしたり危険なモノとか怪しいものとかそういった先入観を真っ先に持ち出すのは本当腹立たしいのでやめてほしいです
魔術とは心(精神)の変化作用の事であり魔術師とはその作用を操る者の事です、オカルトの直訳は神秘思想でオカルトと言っても精神分野とか考古学分野とかいろいろあります。
例えばお金なんかは分かりやすい魔法媒体であるかと思います。錬金術のお手本でもあると思います。呪術のメカニズムと言霊は近いと考えています。
その辺の宗教勧誘とか二次元作品などで取り扱われるイメージと一緒にしないでほしい。魔女についても。 魔術というのは学問の一環です。
という、今年は特にこう言った「一般人が抱く広義イメージと専門的狭義の真実」についてさんざん頭を痛めた年でもありました 簡単に言うと各々が持つモノサシの違いについてです。
多数と少数の話になれば、嘘が真実を覆い隠して嘘が真実となるパターンはこの世にたくさんあふれているし「人は見たいものしか見ない」「人の数だけ真実がある」
法律(ルール)重視の精神的六法全書で罪人を物理的に殴り殺すマンの自分としては許されざる事実なのですけどね。
真(まこと)を知らぬ一般人共が、真を知る私を嘘吐き呼ばわりしたのだ。そういう年でした。自分が生まれて間もない者であることも知った。
一応、年初の目標である「オカルト年にする」っていうのも遂行できました。次の指針もできた。
ただ、自分にとって「真実の愛」とか「愛を与える」とか、そういうものは体が痒くなったり吐き気を催す類の嫌悪感を抱くテーマのものでしかないです。
精神的オカルトを調べていたはずが多次元的存在や古代文明の謎とかに結びついてきてそろそろ馬鹿には理解が及ばない域になってきまして本当に分からん オカルトっていうか、SF。
その辺の宗教勧誘とか二次元作品などで取り扱われるイメージと一緒にしないでほしい。魔女についても。 魔術というのは学問の一環です。
という、今年は特にこう言った「一般人が抱く広義イメージと専門的狭義の真実」についてさんざん頭を痛めた年でもありました 簡単に言うと各々が持つモノサシの違いについてです。
多数と少数の話になれば、嘘が真実を覆い隠して嘘が真実となるパターンはこの世にたくさんあふれているし「人は見たいものしか見ない」「人の数だけ真実がある」
法律(ルール)重視の精神的六法全書で罪人を物理的に殴り殺すマンの自分としては許されざる事実なのですけどね。
真(まこと)を知らぬ一般人共が、真を知る私を嘘吐き呼ばわりしたのだ。そういう年でした。自分が生まれて間もない者であることも知った。
一応、年初の目標である「オカルト年にする」っていうのも遂行できました。次の指針もできた。
ただ、自分にとって「真実の愛」とか「愛を与える」とか、そういうものは体が痒くなったり吐き気を催す類の嫌悪感を抱くテーマのものでしかないです。
精神的オカルトを調べていたはずが多次元的存在や古代文明の謎とかに結びついてきてそろそろ馬鹿には理解が及ばない域になってきまして本当に分からん オカルトっていうか、SF。
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[■■■つづきはこちら]
表面だけで判断して食わず嫌いするのはおつむが浅はかな証拠さ。 そうして誰も勉強したり追求して疑問や矛盾を解決したり真実を探そうとしないから。
やっぱり、感情(色)が濃い人ほど子供っぽくてキレやすいし一度怒ったら中々人を許さないよね、つまり受容や許しをするには感情が一番邪魔になるということ(・∀・)感情を殺せ
まあでも色がほとんどなくて無色に近い人も、自分の色が無いってことだからね。
リムブロされた程度で不安がったり騒いだりするのはただの無駄でしかないので
つくづく、自分にも他人にも「自意識過剰と被害妄想はツイッターやるもんじゃねえな」と思い続けてる。
とてもよくしてくれた相手にでさえソレとかで私生活に支障きたすレベルだったからなw
なお過去にもらったプレゼントとかはダンボールに詰めて倉庫にしまいました。過去よさようなら。 その中でもカエルとネコのセットの置物だけ生き残ってるからこの分かり易さ
いわゆる地雷というやつは万人にとって一撃必殺だと思うんだけど、他人→ぼく の場合は、他人はぼくをよく見ないので
(前置きがあるしヒントは散らばせてるのに)突然起きたように見える問題毒素を目の当たりにした時サッサと逃げて行くのだ。理由も過程もあるのにね。
何度も自覚と確認を繰り返してるんだけど、誰であれ空リプは赦されざる行為だから
どういうつもりでやってるかはそれこそ人それぞれだけど上から目線の人とかが行うそれはだいたいが「は?(威圧)」としか思えない。ストレスのもと。
説教くさい空リプとかブチギレ空リプとかでなければいいんですよ 好きだけど恐れ多すぎて告白できない!とかなら全然
あ、これ自分のことだろうなって思っても、敢えて空リプには反応しないと決めた。それで誤爆してもアレだしね。
自分も基本は言いたいことがあるなら面と向かって言えよ派なんだけどどうにも臆病だから自分が身を退くスタイルになりつつある
説教とか愚痴とかブチギレ系の空リプには反応しない、だからその他の告白とか褒めるとかそう言う空リプも反応しないことにした。
そこに差をつけると明からさまにイヤな感じだから。
精神削るために空リプしてるっていう人がいるのも事実だしそういう人には何やねんお前って思うわな普通に。
不特定多数に対する空リプなら理解できるんだけど個人宛空リプはアカンやつ
相手に伝わらなきゃ意味がないし、空リプは当人以外を巻き込んだり要らん不安煽ったりよくないことばかり起こる。何のためのリプライ機能なのか。
これは自分のことだろうなと思っても話しかけられなければ反応はしない。
あと、自分と相手のフォロー数の差やTLのことも、実は自分は考慮してる。
自意識過剰は、これ自分のことかな?を、呼び寄せる 被害妄想は、自分のことをコソコソ言われてる!に陥らせる。
そして募り高まる怒りの感情はやがて恨みや憎悪に変わって行く、みんな不幸にしかならない このようなガキっぽさから脱却したい。
感情(色)が多くあるということは、いろんな意味で部屋を散らかす原因に直結するので。でも、それでいてこその人間でもあるのだよ。人間は色持ってナンボなの。
感情的な人ほど目の前のことしか見えて無いわけなんだけど だからガキっぽいと言うんだ
好意を示してる相手の情報は知っておかないとストレスになるとかいうアレなので情報ストーカーをするしそれはもう5年以上続いてること。
それ故に助言したりできるのだけど、そういうことをしてると嫉妬などを生む原因も拾い集めることにもなる。
理由はそれにとどまらないのだけどそういうこともあって隠されたことや秘密の共有、鍵垢とかが自分にとっては絶対悪なのです。
鍵垢から追い出されたこともあるしそれだったら最初から入れないで欲しいね。殴り殺したくなるくらい腹が立つの。
自分と相手のフォローフォロバ、リムブロ、垢消しが全部確認できるひすったーと言うものが存在するんだけど、毎日それを血眼になりながら何回も使ってた。
でも疲れるだけで何にもならなかったし、私生活に支障をきたし始めたのでやめた。
好意的で自分に興味持ってくれてるなって人のアカウントは、ホーム画面に飛んでツイートを遡ってその人のログを読んでたんですよ、毎日何回か。
でも、一人二人の話じゃないし 見なきゃよかった的なものも出てきたりして
つまり疲れるのでこれもやめ。
ミュートは、自分はされても構わないけど、リプライは表示される(届く)し こちらはあなたを見テマスヨ…って言う。
だから自分は相手を見たいので できるだけブロックしないでほしいんだけどな。
思わせぶりなツイートは良くないものだと改めて思った。自意識過剰&被害妄想にとっては毒である。
親身になり過ぎないこと、移入しすぎないこと、まっすぐ見ること これらがこの世界で精神衛生を守る方法。
ツイート内容も、リツイートの基準も、ツイッターそのものの用途もみんながみんな同じなわけじゃない、
特に自分はあまり普遍的ではない使い方をしてる気はするので勝手に判断されても困る。
空リプで過敏になるとか、お前のことじゃないのに何過反応してんだっていう現象も珍しいものではなく、
多かれ少なかれ気にしてることやコンプレックスに思ってることなどがそれらに該当して引っかかるから、というのはどうやら事実であるらしいし。
じゃあ無難な言葉だけ並べ立てて浅い交流だけをしてれば問題ないじゃんwwwwって言うのも短絡的で。
損得の都合で成り立つ軽さのツイッター上。つまりツイッターユーザーは「どうあがいてもコンテンツ」として考えるのが平均化するなら妥当なところだと思うが。思うがな。
だったらフォロワーの発言が変化したら(自分が欲する情報じゃなくなったら)とっとと切り捨てればいいんだからwwwwwww
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思考、思案、追求 この辺をする人が好き
自分は絵を描くために人生を犠牲にしてるからなあ そこまで上手いわけでもないのにね
ちなみにぼくは物心着いた時から絵を描いてるよ その頃から人外描きで男の子が描く絵みたいなヤツを描いてたよ、ドラゴンも描いてたよ
ただの落書きから生き甲斐になったのは中学から。つまり中学から本気で絵を描くようになった、中学から考えて描くようになった、中学から私の表現の一つとなった。
やがてそれは「謎の現象」をカタチにする手段となった。私はそれを受信と呼んでいる
そう。私にとって絵とは自己表現であり発散手段であり安寧であり心である
絵の中の存在達は確実に「生きている」 生きていれば死ぬし、殺すし、悩み喜び絶望もする
生と死は絵の中にも存在する有無 フィールドは確かに紙であるが「存在」は、三次元
私は二次元に三次元を求める なので中々理解できないこともこの世には多々ある 「同性愛は二次元限定」とかね
僕はそもそも三次元萌えだし三次元のエログロバッチ来い人間なのでなぁ…
まあ「二次元限定」というのを主張する人の大半が抱いてる理由は「三次元は気持ち悪い」だろうなのは知ってるよ。
生があっての死の美しさ 死があっての生の美しさ
出来る人は出来ない人の気持ちがわからない 出来ない人は出来る人の気持ちがわからない 他人が私のことを理解はできないし私も他人のことを理解できない
その埋め合わせを可能にする人を私は好きになる
格差とか選民とかいらない 横並びがいい。だから、作品の上手い下手とかで私は人を選ばない。みんなおんなじ。
分かりやすく言えば、絵が上手い人にはたくさんの人が付きますが、自分はそういうのに反抗的です。
んで、絵を描いてくれるからこの人についてる〜という意見もたまにある。
鉛筆配って仲良くなっても配る鉛筆なくなったら友達消える
それは、オカルトで言えば「お前の持ってる能力や知識に興味はあるけどお前そのものには興味がない」と言ってるようなもので。
私はそう思ってないし、そんなこと言い出す奴はクソ。
理解できるできないを、単なる好き嫌いで片付けるのはちと短絡的かと思うよ。
構造の把握が理解であるなら、受入れるか否かがその後に来る。好みの問題は理屈の次だよ。
ピーマンに栄養があるのは知ってるんだけど、キライなものはキライ。そんな感じ。
あとやっぱこう、社会は所詮人間の表面のみを扱えればそれで回る世界なので
化けの皮の内側がどんなにクソゴミでも道具として使えればそれで結構なんだよナ
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ということを、教えてやるよ。 それは 分泌系だろうが精神構造だろうが、そう。
そういう奴に限って「普通は持たない特殊なもの」を持っているケースも少なくない。
やはり自分にとって隠し事、秘匿、選民、黙秘は地雷であることは確かだし基本来る者拒まず去る者追わずのはずなのに裏切り者は追いかけてでも殺す。
何故「普通」を、現実から目を背けてでも望もうとするのか?何故自身が「普通は持たないモノ」を所持していることを受け入れないのか。
精神病なんて医学が決めつけた社会不適合のレッテルでしかないし古の通信術であることに、何故気づかないのか。
何故オカルトや魔法と、理論・論理や科学を別物として分けるのか?それらが表裏一体のコインのような存在だということに人間どもは気づかないのか。
オカルトというだけでそこから枝分かれするすべてのジャンルを嫌悪するその先入観、偏見、醜いと思わないのか。
「見えない友達」であるイマジナリーフレンドなんかは精神医学ジャンルだけど昨今のタルパなんかはまさにそれであって精霊でも何でもない。
魂や霊などと言った不可思議オカルトを信じない者が人工精霊な存在だったり魂を扱ったりするタルパを作ってる場合もある。
どんな世界のどんな名称や道具どんなものでも結局は人間は「便利なモノ、好都合なモノ、甘くておいしいもの」なら何でもいいから
本質なんて知ろうとしないし美味しければ表面上だけで構わないしたとえ毒でも甘美なら摂取し続ける。
不和の紫(雷)、霧散する普遍(一般人)を劈いて天から地へ到達する。お前らは何も知らない故に知る者を加害者として排他する、平穏を保つため。
自分より下だろうが上だろうがどんな立場のどんな人間からでも学ぶ要素は幾らでも在り、あらゆるヒントを取り入れるべきである。
誰かの持論や思考によって自分の中身が自分の土台が揺らぐならお前の足場なんてその程度の脆さ。
多かれ少なかれ真実を知る事実を知る人間がそこにいればお前らは途端に楽しい空間を破壊されるからな
「空気を壊す」というのは書いて字の如く、私は空気 読めない んじゃないくて空気 読まない。
物事の裏側を穿り返すこともせず見たいものしか見ない者共
かと言ってマイナス発言に対して逐一口挟んでくる物好きで分からず屋な輩がいることも事実である。
私は上下左右の関係などある場所であっても無に変えて扱うし基本スタイルが「すべて横並び」
愚痴や陰口しか叩かず文句のみで問題解決や導きを行いもしない中身がない人間のことを私はリーダーとも思わないから従わない。
金のために働いてんだ、金のために。間違ってもお前らや会社の為じゃねえよ。だからこっちが暇じゃなけりゃ定時で帰るよ。
そんなペンタクルで地属性な思考によりマジで暴れる5秒前に退勤 突然の名古屋行きに至るのである。(iPhoneブログ参照)
昨日今日のやり取りで、かわいそうなほどマザコンだった妹もついにカーチャンに対して抱いていた疑問が確信に変わり。
母親に対してお前も器用じゃねえなと長女である私は思うわけだが。あんな下手な人生の使い方をするような人間にはなりたくないです、損しかしない。
自室はいつまでたってもモノであふれていて片付かないし、他人のために人生を費やして自分を無視するなんてとんでもない。
自分のために人生が使えないならその時には死のうか?肉体も魂も自分のためにないのならそれはまさに「死」んでるのと同義なんだよ。
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あるいは、自分なんか生きていてはいけない、公害だ、迷惑かける前に死ななければ または、イイよ死んであげるよ
自ら死を選ぶ権利というのは皆に与えられた唯一の絶対自由 生きることの方が柵や束縛不自由は多い
死ぬことで苦しみから解放される 人間に生きる意味など最初から与えられていない、すべて後付け
「罪」とは社会的感覚から成る「判断基準」でしかないと思うんだよなあ 道徳なんて結局は法律によって都合のいいように捻じ曲げられた価値観なんだし
絶対悪はいないけど必要悪は居るんだよって前俺言ったよ 罪、とは確かに「感じるから」罪になり得るのであり「感じないなら」罪にはならない
命を奪うことを学んだ子供は「やっちゃダメなこと」を罪として覚える 人間も畜生だろ?(鼻ホジ) 罪を罪と認識してそれによって生まれる苦痛を感じなくなったら人間終了のお知らせ
人間を殺すのも他の動物を殺すのも、同じ気持ち だから、動物を平気で殺せるならきっと人も簡単に殺せるよ
だから、なんで人間を殺した時と動物を殺した時と、罪の重さが違うんだろうね?動物を殺しても何も起きないこともあるのにね?
理解してなければ変わるわけもなくただでさえ思想思考信条は短期間では変わらない 直視するとマイナス要素から思考が止まってしまうものはあると思う
いつだったか、自分の脳は金属でできてるみたいなことを言ったけど、あまりに鈍くて融通きかないから。 金属は一度溶かさないと形が変わらない…
「自由に記しなさい、答えなさい」と言いながらそれを実行したら怒られて模範解答に書き直しさせられるというのは、許しておいていいことなのか…
俺の邪魔するやつは消す、というより 俺の邪魔をしてくる人がいるならここには居られないなって言う
相手のことが目障りだと感じたら殺そうとするのではなくそいつが居るところから離れようと住居を変える
自分の居場所は自分で作る、とネット外で言われたけどそれはそうであるのだろうと思うし自分はそれを敢えて真っ向から否定しに行ってる(調和する気がない)のだからな…
自由と言いつつあるべき姿を強いる美術の授業はクソである
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