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無題
昔に魔術や魔法などのオカルトとして知られていたものが現在の心理学、形而上(下)学、自然科学、形式科学、哲学といった「科学(学問)」でその回答を得ることが出来る。人は、大昔からそれらの神秘的な世界の中で夢想を繰り返してきたというだけの話なのです。そうして生まれた多くの寓意的神話に騙され妄執に取り憑かれた人たちが少くない、って、それだけの話なのです。 現代の一般人はオカルトに偏見持ち過ぎだ。
 
人間は痛みを覚えないと省みないもの。そうやって火の扱い方を知る。 痛手を負うまで自分自身を盲信し続け疑う事思案する事もしない。人間は痛い思いをしないと自分を顧みることをしない。 そうなるまでは、自分のことを疑う暇もない。「眼が濁る、曇る」とか言われるやつです。

ご神体は鏡、かがみ、「我」と「神」自分という我の中に神は存在する、という神道的考え方の話を読んだのですが。自らの姿を反転した状態でそのまま見せつけてくる鏡というアイテム、かあ… 自分の物事を受け取る捉える認識するこころ、精神の状態が健全でないと、鏡に映った自分も歪んで見えるかもね。
「事実(紛うことなき目の前の現場)」を、こころのフィルターというものを通してから認知認識したものが「真実」である。だからそこには様々な感情や思惑、思考が織り交ぜられている。なので「人の数だけ真実が存在する」ということになり、たとえ同じひとつのものを指していてもアウトプットは人によって色々になる。
だから、こころ(アストラルの世界)が歪んでいると、世界が歪んで見える、と言うことなのだけど これが所謂仏教の「空」なのかな?その辺は詳しくない。

陰陽の肯定と否定の交互のバランスがとれてこそ人は安全に日々を過ごすことができる… それはつまり、肯定ばかりじゃ心身は腐るし、否定ばかりじゃすり減っていって死んでしまう。 だからきちんと寝てきちんと起きて、体内の液体(エネルギーも血液もその他体液も)をぐるぐる回そう…。
大地(陰)は物理、天(陽)は不可視、それは肉体と精神、人間だけがその真ん中で「神」を知覚することが許される。 これがどういうことかなんて、オカルトやらなくたって理解は可能だ。
全ての中にそう言った「大掛かりな機械仕掛け」を見出せる知性を有するのが人間しかおらんからね。
神は特別なものなんじゃなくて、敢えて言うとするなら、自然の中に神を見出せる人間の知性が特別なんだと思う。 だから神ってのは厳かではあるけど、ここにもそこにも遍在していて呼吸するための酸素みたいに常に隣人であり続けるのだと思う。












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無題


野花一輪引きちぎり摘むだけでもそれは犠牲(供物または明日への繋ぎ)となる。そういうこころが特に今の時代廃れてるんとちゃうかと思いますよ。だから「心を亡くす」と言うのじゃ。
忙しさは、効率化や合理性を強く求め始めるから、そのような精神に寄った怠い思想は相手にされなくなっていくんや。そしてより確かでより即物的な手に取れる「物質(ペンタクル)」ばかりが作られ消費され利用される。価値はそこにしか無いのだ
例えばそれが命持たない無機物だとしても、それが生み出される過程で削がれた職人などの精神(時空の奥行き)が宿っているはずで。
消費物をただの消費物としてしか見れてないのが現代人の悪癖。
私の悪いところは「相手を情報という定型の物理でしか見てない」部分。それは あまりに臆病(相手が怖い)すぎるゆえに、分析して正体を暴いてやろうとする姿勢が強すぎるため起こる。
だから、現代人(科学マンセーオカルト糞食らえクラスタ)はそういう意味で「心を亡くしている」と、散々私は主張し続けている。

自らの「意識(こころ)」が世界を作り世界の全てと為る、というのが魔術の概要であるので、自己カウンセリングや自己啓発、気づきや愛といった内容に発展もする。とりあえず哲学やっとけよ。人生という名の哲学

だから多分、マシン(機械)は世界を認識できない、認識しない。それこそクオリアを持たない哲学的ゾンビである、と そういうことが言いたかった。人間の精神と魂についてもそういう話であると思う。
世界に対してどのようなアンテナを張り巡らせどのように受信するかにすべてがかかってる。それ次第で、世界が幸せに満ちていたり悲観を生み出すことしかしなかったりするし
結局幸せ不幸、運がついてるついてないなんて軽い岐路も自分の受け取り方次第だったりする。

だから魔術っていうものは一言で説明できないから、まずは関連書籍をテキトーに漁ってくれやとなる。
言葉で説明するとあまりに概念すぎ説明省きすぎで意味不明なアレになって理解に至るどころか相手を引き離す羽目になるから。
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無題
私はそもそも何をするにも支障をきたすくらいに心身が薄弱なんで太極拳始めたわけです。働きだすどころの騒ぎじゃねえんだよ。東の思想で『東洋五術』というものがあります。命卜相医山、これはメインが占いのことについて語られるものですが、占いは現実の事象から何がどうなってるかを読み解いて推理していって具合を割り出すものだから、現実を認識して噛み砕いて理解把握する能力が欠如してると成り立たないものなのです。数学は極めると哲学になるし理屈は極めると感覚に変容する、理屈と根拠を猛スピードで暗算して結果だけ出すと直感のように見えることもある。それは、奇術が魔法に見えるってあの話と似てる気がして。
そもそも数字というものは「自然」を分けて扱うために編み出されたものだって聞いて。
占いというのはつまり推理力と直観なのです。直観力は誰でも持っているモノですが、その直観力を鍛えると所謂超能力や霊能力に繋がる構造になっています。

太極拳教室の人からも腎臓(腎虚)の悪さを指摘されたわけですが、私個人的に事前に中医学を触り程度に調べていました、私が塩分大好きキチなのと足腰弱いのとおそらくその辺が…。
朝起きて太極拳教室行って帰り歩いてるまでは汗かくくらい暑いのに帰ってきて一息つく頃には結構寒い、末端冷え性は自室のファッキンコールドに対抗すべく自宅で気功を試みるわけですが末端冷え性過ぎて手足の先まで気が回らないとかいう手遅れに見舞われてる
「気功」というものに関してはイメージ力と没入の深度の話になってくるので絵描きやタルパーなどの感覚(非言語)型妄想人間は有利になります。
予備式や弓歩などで左右前後に軽く脚を開いてみると体幹の歪みがバレてしまう。どうしてもズレてしまうモンでして、正中線と骨盤辺りを強く意識する太極拳はソレじゃダメなのだ…やってると矯正されるのだ…。

コンスタンティンとリベリオンDVD消化しました、かなり駆け足だったけど…。
個人的には特にリベリオンのほうがたのしかったですね、魔術師的観点から。あの2本観ておくと予習になるかもしれんって感じ。ガン=カタは中二病歓喜だしリベリオンの日本かぶれ具合ry。
神は意志であり法である。「悪魔」とは「知識と知恵」であり、それゆえ「神」に背く要素として犯罪と定義されて裁かれる。"何も識らない無垢であればいいのに"。この辺が西に於ける「神」と「エデンの園」ですね。
自我と個我。知恵と知識。そこから「ヒト」と「神」が分断されて天使が堕天する。
それはさながら「母胎という宇宙から産まれいづる」ようにも見えますね。すべては産業革命からだ。
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無題
楼膝拗歩だったと思うんですよね、日曜日に教えてもらったの。とにかく歩型、歩法についていけないの。
5日、日曜日から正式に習い始めました、体験併せて4日目くらいだけどね。
午前中2時間教えてもらうんだけど帰る頃にはもう半分くらい忘れてるっぽいの。
上半身の動きは凡そ何とかなりそうだけど、上半身と違ってイメージでの補完ができないからか足の運びが全然頭に残らなくてリラックスして呼吸を整えるどころでは無くなる、静止画だと頭の中で繋がったひとつの情報として認識出来ないし文章での解説のみじゃあなおさらわからない
体験見学中聞いた会話「DVD見て練習してる」「それくらいしなきゃなかなか覚えらんないねw」。
お爺さんお婆さんくらいの人たちとのほうが、私は過ごしやすいなと感じる。40代も若すぎる。ところで、60歳ってまだ若いんですね…。イメージ上のそのご老人は実際80くらいだったよ…。

ずっと前から見る見る詐欺していた映画DVDも借りて、今回はそのうちの「ファースト・ミッション」をじっくり。
サモハン監督、ウー・マ製作総指揮、ジャッキー主演で サモハンが兄シャンタク、ジャッキーが弟シャンヤン
軽く下調べしていたし、そこまではよかったんだけどその他「霊幻道士完結編 最後の霊戦」のメンバーも出てたのは知らなかったなあ ウー・マは2014年に亡くなられているし そんな1985年公開の作品。
諸事情で水島裕(声優)を掘り下げていたらカンフー作品吹き替えをよくやっているという部分に着地してそこからサモ・ハン・キンポーという人物を知るに至ったけど個人的には何よりも「1973年燃えよドラゴン時のサモハンが中学生時代の私にマジでよく似てる(リア友の同意もとれてる)」のインパクトがあまりにデカすぎて。
あそこまでじゃないけど当時の私は今より太かった。太さじゃなくて、顔のパーツや配置そのものが似過ぎの。
いやしかしサモハンかわいい、愛嬌あるし水島ボイスと合わさって最強に見える…あとサモハン脚長い気がする。パワーのサモハン、スピードのユン・ピョウ、バランスのジャッキー、カンフーアクションBIG3。
ポテトかわいいから始まったチン・カーロッもイケメンに見えてきた頃です。「中国式免許皆伝」のスパルタンXもいいと思うゾ。しかし私は毎度毎度何かにハマるタイミングが世間と大きくずれていて、大概世の中のブームそのものが過ぎ去った後だったりとかして。

二月のいつごろからか、思うところがあって占術扱うのを休止してます。座学はもちろん食い続けてる
覚えやすくするために太極拳と易占をどうにか合体させらんねーかなあと思っていたけど八卦掌というものが既に存在していたって話で、でもそれはあまりに今の自分からかけ離れた要素であったなあ。
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無題
さてお久しぶりです。今までツイッターのほうにずーーっと張り付いておりましたが
(多少形式を変更して)またブログを再開してみようかと。

3.11がありましたが、こちら2016年の丁度その日に愛知から神奈川へ引っ越しをし住居変更しております。そしてまあ、スプラトゥーンやら憧れのカントー地方やらで、もともとツイ廃だったのもあって
本アカ(
@Megane_Mu )と外交アカ(@Thoth_Mu )ですべてを済ましていました。秘書艦は五月雨です。

当サイト、当ブログでは創作や日記をメインに扱ってきましたが
今後、特に不可視・オカルト成分が強まります。

私がオカルトジャンルで活動するようになったのはもう三年以上も前のことですが
ここでは控えめにしておりました。

タロットをはじめとした占術、タルパ(霊体)、その他東西の宗教や歴史など。
わりとまじめに本格派を目指しています。スピリチュアル★みたいなのは嫌いです。
魔術は学問であり、科学である。魔術と魔法は別もの。

何度も何度も言ってるけど、私は昔から「ムー」みたいなああいうオカルトは好きでした。それに、「知識と知恵」のジャンルであるソレが、ADHDの私の脳みそに対する救済と世界の塗り替えになったのは疑いようのない事実ですし、私は何年も何年も自分の"不自由な"脳みそが嫌いで嫌いで仕方なかった。西洋魔術に手を出し始めたことでそれが解消されたんです。自己の精神的心理的な分析と回答をすることで行うカウンセリングやヒーリングだって可能だ。少なくとも私の積年の多くの悩みは解消され続けている、科学を以て。
何も知らない一般人たちが怪しむ、忌避しようとする"所謂オカルト"は大半が迷信と無知の塊である。

下の記事でも触れていますが「KONAMIの音ゲー「MUSECA」のGrafica」で私の絵が2枚目、採用されております。前回の世界と関係を持つ女教皇です。
今まで西洋文化漬けだったので来年は東洋文化に偏ってみよう、なんて言っていたら1月から陰陽師、易経、と来て最近中華街で功夫着とシューズ買ってきました。中国語にも手を出してるけどだいたいサモ・ハン・キンポーのせいやry あとあまりにも体が不健康すぎるので今週から太極拳教室も通い始めます。
ココナラで占いと絵の出品をしています。comicoに漫画投稿していこうと考えてます。
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